長尾白峯 プロフィール

(参考文献:本ページは、信濃の国誕生110周年記念出版本(プラルト出版)の人物偏を参考・転記しました)

      


私は木曽郡上松町に五人兄弟の二番目として生まれました。
木曽山林学校卒業後、海軍甲種飛行予科練習生として土浦海軍航空隊に入隊しま した。
戦後は一時期木曽税務署に務 めましたが木曽の自然の美しさと、 その地で知りえた漆器加飾の沈金技 法に魅せ
られこの世界に入りました。その後独学で漆器加飾の沈金技法を絵画風に表現することを目指し技術を修得しました。

昭和二十九年に漆器の本場楢川村平沢で独立し、茅野市出身の洋画家 で一水会会員の小平鼎画伯に入門し
絵画を学びました。
伝統工芸家として精進し県展などに出品を重ねる中、昭和四十三年に県展出品「灼熱」が長野県知事賞を受賞、
私の出世作になりました。
その後は、長野野県彫刻刻工芸展と達合総合美術展をおもな作品発表の場としました。昭和五十四年の連合総合
美術展出品作「朱漆金銀箔散沈金梅文深鉢」で奨励賞を受賞し、翌年同展出品「楓沈金風炉先屏崑」で準優秀を
受賞し、さらに五十六年同展出 品作「沈金朱竹二曲屏風」で激励當を受賞しました。

また同年全日本総合工芸展出品作「沈金桜樹文二曲屏風」で優秀賞を受賞し、六十年連合総合美術展出品作
「沈金春秋紋文庫」が芸術公論賞を受賞し、翌年の美術コンクール出 品作「沈金竹葉文手箱」で東京都謹会議長
賞を受賞するなど、多<の実 績を残してきました。

私の発表してきた数々の作品は、従来の鎗金技法に加え、独自で開発 した箔置_・彩色を施し、独得の漆の美を
表現しています。古来の伝統漆 芸の良さを生かしながら、現代生活 に適した新工芸を取り入れた作風は「白峯芸
術」として確立され、今日に至っております。

生まれ故郷である信州では、長野県工芸会の創立に尽力し、初代会長 として六年間務め、後進の指尊にあたつて
きました。さらに六十二年よ り長野県工芸会の顧問を務め、平成五年より日本芸術家連合会副理事長も勤めてき
ました。

昭和六十三年より、長男の住む千葉に移住しましたが、私の創作の出発点は、なんといつても信州の木曽にありま
す。四季折々に美し<移り 変わる木曽の山々に見守られ育まれた漆の伝統工芸が私の原点です。
これからも育まれた原点を大切にし、古来よりの伝統を守りながら日本の美しさを作品の中で表現し、独 自の芸術
を目指してい<決意でおり ます。



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