U 吉野について


まず吉野の場所ですが、下記はGoogleで「上松町 吉野」で検索した航空写真です。この地図で「上松町荻原吉野」
となっており、途中に荻原が入っています。これは1889年(明治22年)4月1日 の町村制の施行により、西筑摩郡
小川村・上松村・荻原村の区域をもって駒ヶ根村が発足しましたが、吉野集落は荻原に入っていたので荻原となって
います。その後-町制施行・改称で1922年(大正11年)して 駒ヶ根村が上松町となりました。したがって今でも
吉野地区の各家の本籍は上松町大字荻原○○番地となっています。

 
●吉野部落の場所は上記ですが、上松町について簡単に述べると、上松町(あげまつまち)は長野県の南西部に位置
する木曽郡の町です。町の東端には中央アルプスの最高峰である木曽駒ヶ岳がそびえ上松口の登山道から登ることが
出来る。町のほぼ中央を木曽川が流れている。御嶽山は北西の方向に見えるが見えるだけです(御嶽山は途中に
大滝村・三岳村(現木曽町)があり裾野は上松とは直接は繋がっていない)。
 
隣接する木曽福島町(現・木曽町)に次ぐ木曽谷2番目の人口を擁す町です。2004年9月26日に木曽郡中北部の町村
(木曽福島町、木祖村、日義村、開田村、王滝村、三岳村)との合併の是非を問う住民投票を実施しましたが、結果
は反対多数だったため当面は合併をせず自立を目指すことになった。狭い木曽谷に木曽福島町と上松町の2つの町
があるが、木曽福島町には昔関所があったことが関係していると思われるが、県の出先機関は木曽福島町にあり、
福島町には3校あるが上松町には無い。高校の誘致の件は過去に木曽山林高校が古くなり立替の話があったがり
誘致合戦をしたが木曽福島町に負けたと聞いたことがあります。木曽福島町とはライバル関係ですが合併すると行政
を含め中心が全て木曽福島町になる可能性が高く、オレの想像では上松町の人は合併に反対したのだと思います。
 
●吉野地区は風越山沿いに滑川にそって南北にのびる緩傾斜地で、日当たりのよい町内一の広い土地です。
そのため早くから開発され旧石器時代からの住居が出土されています。遺跡調査では平安時代の遺物や住居跡も発見
されており、今から約1000年前ころ誰かが住んでいることが判明しました。したがって吉野には7000年前の縄文
時代早期から縄文人が住んでおり約6000年後の平安時代まで絶えることなく人が住み続けていた痕跡があります。
 
 



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