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10.吉野のお宮・熊野権現
(1)熊野神社の建立
 鹿野神社『鰐口・薬師・棟札・』などの記録を見ると、『鰐口』に元禄十七年(1704年)の銘が刻んである。
今から二百九十五年前になるが、建立されたのはこれよりもまだ古いと考えられる。
驚いたことに当時既にある程度の文字を書ける人が居たことである。当時既に姓を名乗っていたことも判明した。
 
次ページに記述するが、明治時代には無い姓や、明治時代にるよあるが、享保の項は無い姓もある。又、このと
きの記録には前野姓が見えない、この時期、前野は別の村であったのかも知れない。
 
 明和四年(1767)に納めた「御簾」を入れた箱のうら書きにはは三郎の名前があり文政六年(1823)本社殿の
石垣直した時の札の真に 「組頭、前野久三郎」と記録がある。
以上、26戸+1戸主=大体27軒。
 
御用札(同じものが2枚ある)「表」京都御用、「裏」神主、徳原讃岐守と書いてある。神主の名前から享保以
前」か?安永か文政時代のものと推定されるが、この札は物を献上するときに使用したものと考えられ、京都高
山寺の荘園だったころの末の時代のものかもしれない。
 
だとすると、小木曾荘の地頭の地頭真の末期と見て、前記に書いてある1350〜1400年、即ち室町時代の終わり頃
のものかも知れない。そうだとすると、 熊野権現或いはその前身のお宮は室町時代に存在していたことになり
、須原の 定勝寺建立(1430)の少し前、長野の白山神社(1334)時代に熊野権現の大体が出来たかもしれない。
 
(2)吉野熊野権現の神社調査の結果
[1]御神体 《注1》
  ・女身の立像     彩色木彫
  ・弥勒菩薩      身体金色、他は彩色
  ・薬師如来      全て金色
  ・天神橡        彩色木彫(前野の下の祠にあったと言う)
  ・立像         彩色木彫(佐郡の祠にあったと言う)
 
[2] 器物・棟札
   @「鰐  口」 元禄十七年(1704)
   A「薬師如未」     宝永 三年(1706)
   B「棟 札 」      享保 八年(1723)
   C「棟 札 」      享保十八年(1733)
 
『C「棟 札」の表』
    願主、         あいど又三郎 、さこり惣右衛門
    奉納御棟札敬白  大工  三浦傅十郎、三浦傅蔵、三浦傅八郎
    木引           清右衛門
 
『C「棟 札」の裏』
  金、一両        さこり久七  
    六百文       いつりょう亀七
    六百文       いつりょう功お八
    六百六十文    いつりょう嘉四郎
    一両        木下八蔵
    六百五十文   山○貞八印
    五百文      山○みのた
    三百文      木下長七
    一両        木下八蔵部
    一分三十文   田中弥平
    六百五十文   中田政七
    八百文      越 喜平
    一分二十四文   中畑友右衛門
    六百六十四文   中畑 三蔵
    一分        小畑左衛門
    五百文      横道清歳
    八百文      大畑吉衛門
    一分       寺田新蔵
    三百文      寺田弥八
    一分       あいど吉左衛門
    一貫       木戸友惣定
    一分       新屋又十ろ
    一両       新屋助右衛門
    一分二百文  あいど又三郎
    一分三百文  清水惣左衝門
    二百七十文  中畑清六
    十二文     水口おまん
 
◆享保十八手に棟札を揚げた時どこを遷宮したのか記録して無い。願主はあい又三郎さこり惣右衛門、となって
おり、  「あいど」 には 『・あいど吉左衛門・木戸友惣定・新屋又十ろ・新屋助右衛門・あいど又三郎』
の五人の戸長が郎党として一族的な結束を形作って生活していたものと想像される。(棟札うらの村中覚の人名
配置順から見て)
そしてこの一族の寄付金合計は一両三分千二百文(現在値推定、65,540円)となり、全寄付金の27%に相当する。
さこり久七・木下八蔵が共に二位で、一両(現在値推定、34,000円)で夫れ夫れ14%である。当時の村惣代表は
「さこり」「あいど」であったと推定される。
 
 
『棟 札の裏』
(これはCとは別の棟札でCから40年後のもの)
 
当社句熊の権現本社今般東江○セさくしき仕
御神前之がく之二氏度出来仕候  以上
 
安永三年   甲午四吉日
 
神主       徳原讃岐守安○
萩原村庄屋   清兵衛
当地組頭     久兵  以下四人の者、
          偉右衛門・新蔵・久左衛門・久七
 
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<注1.吉野熊野神社調査報告書の一部>

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