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9.里山
風越山の山麓で、耕作地との堺には、馬を放牧していた時の柵が有った。この柵から上はすベて山と言っていた。
山には幾つかの字名ついていて、各字は各戸の持ち分に区分けされ、家の順番に堺を設けて有った。堺には所々
石を積んであったり、ネズミサシ(杜松)《写真a》 と言う木を植えてあった。
 
●里山の奥の方からの名称
・山の上、奥の方から字を順番に並べるとし 『みっさ』 (昔は水のことをミツと呼ぶ所があった従って水沢)
・『一番の窪』・『横手』・その上の方に『きゃらし』(きあらしか?)・『おおばし』・『いちはくぼ』
・『くりやらし』・『たかりや』・『ひかんべら』中腹に、・『うえのは−し』・、下へさがって『したのはーし』
・『わたろ』・『はりきば』・『しなちくぼ』・『きっぱた』以上は、ほんばしよりも左の山で概ね風越の山麓
である。
 
次にホラロ(舟底山)地区、ホラロとは、船底山の北斜面を言い、お宮の上から天辺まで『ほらろ』と呼んで
いた、意味不明。
 
船底山の西南斜面には、『てらくぼ』・『おこし』・『さんど』・『さるばな』・『じほところ、ばほところ』
 など、南斜面は 『さんど』 さんどの奥は風越山との堺にひかんべらの鞍部につながる清内路峠断層があり
これを堺に、鳳越し側は古生層・船底山側は伊那川花崗岩で、『ふかさ』 には断層際に石灰岩が挟まれている。
『ふかさ』 の上風越の麓には 『まえのばた』その右うえは 『にしくぼ』。それより下の方 『おかもと』
 までの間は字名を知らない。
 
・以上大凡の字を挙げたが、名前の意味が現代国語では解釈出来ない所が殆どである、訛ったもの、古代言葉を
詰めたものなどだと考えられる。各字の位置、形状等から推理すると、みっさ=水沢、 いちばくぼ=いちばん
の窪(何が?)くりやらし=栗あらし(あらしは古語で「ごつごつぢている」ところ)。、
たかりや=集りや(古語でものを集める所)、ほんばし=本林、本の意味?、ひかんべら=日陰平、きっぱた=
切り畑、昔焼き畑の有った所、はりきば=春木 (正月などの行事に使う木を切った所、此処は村の共有地なり)
 
くりあらし=栗の木が多く生えて居るあらし(前掲)、わたろ=渡る所、おこし=此れも焼き畑、新しく畑を掘
り起こした所、ふかさ=深い沢、さるばな、じほところ等は、大体想像が出来る、大分後で付けた地名、てらく
ぼ=昔、お寺のお堂が有ったところ。『ほらろ』 『さんど』 『しなちくぼ』 等、意味が推理出来ない字名
もある。字(字)の地名には、昔の言葉と考えられるものがかなり多くのこっている。
 
 以上の字毎に各家の用山が区分けされてている。今では、売買などで家の順番に並んでいないところもある。
『おおばし』の下の所には「寝覚め山」と言う部分が有り、吉野の山を個人持ちに分割するとき、僅かでは有る
が、寝覚めの人達にも分け与えたものと思われる。
 
記事:
<a.ネズミサシの写真>
ネズミサシは葉っぱが細く尖っいて、触ると刺さり痛い。(確かに境界線には最適だね)


 
ネズ(杜松)ヒノキ科ビャクシン属に属する針葉樹。
 
別名はネズミサシ:和名はネズの硬い針葉をネズミ除け
に使っていたことから、ネズミを刺すという意で
ネズミサシとなり、それが縮まったことに由来する。
 


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