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10.大川
 
●滑川(なめが)
 ・滑川は昔、「大川」と言っていた。『はねんし』(観ね石か?)の坂道は板や丸太を横に並べて桟道を設け
てあり、松林で、たまには松茸も取れた。橋は、『みっさ』 の栃の木を二つに挽き割ったもので吉野側の端っ
こに四角い孔を明けて太いワラ縄を縛り付け縄の端を大きな石等に固定してあった。
 
流水面からの高さが低いので(木材の丈に合わせて大転石の橋台を積んであった)一年の間に2〜3回くらい流され
た。
たいがいの場合橋の材料は、太い縄に繋がれていたため流失は免れた。
 
 滑川の上流は1/10くらいの河川勾配で、巨大な転石がゴロゴロしている、川の端の方には『ゴウヤ』(古語、
大きな石が 集まっているところ)になっている所もあった、大水は黒っぼい茶褐色の色に濁って、泥の匂いが
していた。増水して危険になってくると、学校に連絡が有り、吉野の.子供たちは、国道から滑川の跳ね橋を渡
って『オカモト』の中腹の狭い小路を通って帰った。  
 
栃の橋の寝覚め側には寝覚用水路の取り入れ口があり、水神様を祀ってあった。此の辺りは石の露頭があり、上
松花崗岩が見えていた。滑川の河原には、『ケンケン』(翁草)が沢山生えていた。また、秋グミの薮がいたる
ところにあった、夏の終わりになると、秋グミを取りに行き、笊の中に叩き落として、一緒に入った葉っぱを水
に浮かして選別し、そのまま食べたり、熱湯をかけて渋を取ってたべた。 《写真e》
 
箱石の『いすぎ』から『わたろ』を経て更に溯って行くと『おおくずれ』と言う所があり、此処は、『したのば
−し』の川に接する、ところで高い『ハバ』(古語で崖のこと) が崩れ落ちていた。この下辺りが、自然にあ
る食物の宝庫で、マツエビ、シラクチ、アケビ、ヤマフドゥ、秋グ三等の、山の果実がいっぱいあった。
 
そこからまだ河原を上がって行くと、『かねいわす』(鉄分を含んだ古生層の露頭がある、ここは 『みっさ』の
下)。
と言う所があり川の水が此の岩の間際まで片寄ってきている。此処を渡河して此処へ流れている滑川の支流沿い
に上って行くとおおきな『ゴーヤ』に出る、このゴーヤには山葡萄の良質なものが這ってるところがあった。
上松祭りのころこれを取りに行き、山葡萄酒を作っていた。  (つづく)
 
記事:
<@丸太橋の写真が入手できたら差し替える、Cも橋がよく見える写真に変える予定>
@左の写真は小学1年(s26/1951)頃の吉野橋イメージ。A右は小学3年(s28/1953)頃で自動車の通れる
橋が始めて出来た。
    
B左は中学1年(s32/1957)頃でコンクリートの橋になった。 C右は平成20年頃で2車両が通れる橋になった
  
 
小学1年頃は@の丸太橋でした、写真がな無いので取りあえずイメージ図を掲載した。大水が出ると橋は流され
るが、幼少の頃の記憶として、橋が流され村中総出で山から大木を運んで架け替えたのを見た覚えがあります。
なお、その木の名前や何処から引いて来たのかは今回「吉野小史」を見て初めて知りました。(p2-27参照)
 
また小学校1〜2年頃、昼間に大雨が降ると、吉野の人は橋が流される可能性があるので「直ぐ帰宅するように」
との校内放送がありました。早く家に帰れるので喜んで帰ったことが数回あった記憶がある。
こんな場合は西奥も同じように帰されたが(どちらも学校まで1里(4km)以上の距離)、理由は異なり西奥の場
合は、ケイベン(森林鉄道)が止まって、通学列車が運行できなくなるので、その前に帰された。大雨で西奥の
人が早く帰るのは中学校卒業まで変わりませんでした。(その後森林鉄道が廃止され、西奥にも道路ができてか
らはでどうなっかた知らない)
 なお、東奥も小学校から1里以上の所に家があるが、そちらは分校があり、小学3年生(4年?)までは分校で本
校には来ていなかったこともあり、東奥の人は特に早く帰れることは無かった。
また、東西の山奥地域の通学を書いたが、南北については、北側は福島町との境になるが、国道19号沿いであり
、多分1里以上はあったと思うが、平らな道であり特に問題はなかった。南側の1里以上は、別の「萩原小学校」
があり、小学校は分かれていた。中学校からは同じ学校に通ったが、萩原地区の人は「倉本駅」から「上松駅」ま
で汽車通学だった。
 
小学2年か3年の頃に始めて車が通れる、Aの木の橋ができた。これで大雨が降っても橋が無くなる心配が無くなっ
た。
なお大木の橋が渡れ無い時は、吉野の一番下の方に「オカモト」と言う所に、国道19号に出られる小道があり、
その道も数回通った記憶がある。その道は見上げると40mはある崖の中腹を通過であり、怖かった。なお、小学
校1年生から帰りは一人歩きですが、大木の橋は怖いと思ったことが1度もないので子供には広く感じた頑丈な橋だ
った。
 
<e.秋グミの写真>
『秋グミ』は日当たりの良い河原や林道脇によく生えが、滑川にも限りなく生えていた。

低木の落葉樹で、樹高は2-3m程度に成長する。は白っぽい緑色。
初夏に黄色の花を付け、秋に朱から赤色の直径8mmほどの実を付ける。
 
ほかのグミ類の果実が楕円形なのに対し、アキグミは球形に近い。
実は食用となるが、タンニンを多く含むため強い渋みを感じさせる。
また、実にトマトの7〜17倍のリコペンを含む。
 
※秋になると川原には、垂れ下がるほど赤い実を付けた秋グミが一面に
あったが(今も同じか?)、取って食べたが少し渋く特に美味しいと言う記憶
はない。なお、Webで見ると、ジャムやグミ酒にすると美味しいとなっていました。


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