【p39 松判場松判場】 《注1》松判場の小さな草原 私の小学校頃には、ここで盆踊りが行われ姉達に付いて見に行った記憶がある。ただし何時ごろか不 明ですが無くなった。 松判場の小さな草原には、土俵が線で書いてあり、小学校の頃はよく此処で暗くなるまで相撲をとった。 その関係もあると思うが吉野の人はそれなりに強く高校では相撲部にはいる人が多かった。私も高 校では相撲部だったが3年の時60人ほど出場した松本市行われた昭和37年春のみすず県大会と、夏 の高校総体長野県大会では3位になった。遊が相撲だったのでそれなりに強っかたと本人は思っている。 (県大会は2回とも準決勝で負けたが、家に持ち帰る賞状が欲しくて頑張って3位決定戦では勝った)。 相撲の話を更に追加すると、現在の話に飛んでしまいすが、上松町吉野ではないが、 上松町東里出身者には有名な関脇「御嶽海」がいます。御嶽海は高校の相撲部の後輩です。 ただし話が少し面倒で高校の後輩と言っても正しくは、御嶽海が入学した高校の先輩ですが 御嶽海が1年生の時この学校は廃校になり、2年目以降は統合した高校名に変わりました。 したがって、御嶽海の卒業の学歴は新設の高校名になっています。 |